海外研修へ行ってきました!③(マッジョーレ広場→サンペトロニオ聖堂→ホテル編)
H28年度海外研修イタリア!のブログも3話目
研修時の学生の様子を思い出すと書きたい事が次々と
読んで下さっている皆さん、もう少しお付き合いください
前回に続き、マッジョーレ広場からサンペトロニオ聖堂に移動しました
この聖堂はイタリア国内で4番目に大きい教会で、
建設当時のボローニャの全人口にあたる3000人が収容できる大きさだそうです
中に入る前にサンペトロニオ聖堂についての説明を受けています
サンペトロニオ聖堂は14世紀から17世紀の約300年建設を続け上から見ると十字架の形になる筈だったのですが、
17世紀を最後に建設が止り現在に至っています
理由は諸説ありますが、建設当初は教会の壁全体を大理石で彩る予定だったものの大理石の産地から遠かった為に
手間とお金がかかり、資金切れになったからと言われています
確かに上半分は大理石が無く下地がむき出しになっているのが解ります
聖堂の中も素晴らしいものでしたまさに荘厳といった感じ
本来は写真撮影は禁止との事でしたが、折角なので何とかならないかと管内の係の方に相談してみると、
許可料(2ユーロ€)払えばとの事
もっと画質の良いカメラを用意していけば、皆さんにも学生達や私が感じた感動をお伝え出来たのに・・・
と後悔しきりでした
学生達が見ているのは祭壇に向かって左手の床に設置された日時計
天井に開けられた小さな穴から一筋の光が差し込んで幻想的に床の時計を指します
正午の時点での日の射す長さによってその日の日付が分かるという子午線も刻まれていました
サンペトロニオ聖堂を後にしてバスへ戻る道すがら、ボローニャの塔が傾いている理由に出会い❔ました
その理由がこの運河
15世紀ボローニャは絹織物の産地として一世を風靡
当時はヴェネチアに匹敵する水の都であったと伝えられています
当然運河が市内全域に張り巡らされていました。他の地域との中継地点として4つの港が造られました
旧市街のVia del Porto(港通り)はその名残だそうです
以降の歴史を背景に運河は上に道路が作られたり、壁で囲うなどして市民や観光客の目に止らない様になっていきましたが、
市民の保全を望む声を受けて民間企業が会社の創立記念日に合わせて囲った壁に運河が見える様に小窓を開けました
運河=水がイタリア国内の塔を傾けている理由
地盤が軟らかいと言ってしまえばそれまでですが、
塔や運河に纏わる歴史や物語を思いながら小窓から運河を眺めていると何となく不思議な気分になりました
学生達も代わる代わる小窓から運河を眺めていました
市内観光の後は専用バスにて宿泊するホテルへ
ボローニャ郊外に位置し、会議室やコーヒーショップ、屋外プールやフィットネスジムまである4つ星ホテルです
明日のフェラーリやランボルギーニに備えて早めに就寝